手段の目的化を防ぐには
仕事でのミス
例えば、このミスをなくす防止策として、細かく書類をチェックするようにしたとします。
「ミスを無くす」という目的のために「チェック」という方法(手段)をとった。
・・・・・ここまではいいです。
しかし、毎回毎回チェックしていく内に、「チェックをする」ことがなぜか目的(仕事)になってしまう!?
「チェックする」ために時間を費やしている…
「チェックする」ことに気を取られて肝心な中味がおろそかになって結局、できてないなど…
いったい何がしたいのか?
何の為にチェックしているのか? 完全に本質を忘れてしまっている。
「ミスをしない」そのために→「チェックをする」
その前には「お客の満足度を高める」等といったもっと大きな目的があるはずなのに…
「お客の満足度を高める」
→そのためには「ミスをしない」→ だから「チェックをする」という図式になります。
ミスをしないってのは、単なる「目標」、ただのワンステップにすぎない!
そう考えると、その目標を達成するには「チェック」という「手段」に固執する必要は全くないんです!
そもそも、そのチェックすらできない!とか、継続もできないなんて事もあるでしょうね…
そうなってくると、・自動化する ・書類のフォーマットを変える ・書類を無くす 等の仕組みを変える事がミスをしないという目標には効果が大きいでしょうね。
ただ上記の内容は、やれない、やらない者に合わせた処置になってる気もします。
どうしてもって時は人員整理かもしれません。
「チェックをする」という手段が目的化してしまうことで、それで満足して「ミスをなくす」といった根本的な解決にはつながってないんですね。
愚かな事に全く生産性のない事に時間を取られ頑張って仕事をしてる気になってしまう。
ある意味で目的の為には手段を選ばないことが重要になってくるのではないかと思います。
結局のところ、目的の具体的なイメージが大切
やはり、ゴール(目的)を見失ってはいけない!
ある場所(ゴール)に向かうのに、「自転車を漕いで行く」という手段を選んだとします。
進み始めてしばらくすると、思ったより遠くて「自転車を漕ぐ」のに必死になってきた。
やがて、「より早く」とか「より快適に」とか「漕ぐこと」に夢中になり過ぎて、道に迷ってしまい、どこに向かっているかもわからなくなってしまった。
なんでそうなる?と思われるかもしれませんが、目の前の事で頭の中がいっぱいになってしまうと、人なんてそんなもんです。
やってる事に酔ってしまう人は、たとえ途中でヒントがあったとしても間違いになかなか気が付きません。
常に自分は正しいと思っていれば、そうなってしまうでしょうね。
途中で気が付いて引き返す素直な勇気が持てればいいのですが、そのまま悪いプライドが働き、押し切って間違いを正当化する様なら最悪…
会社の指針を忘れないで、しっかりとした方針を決め突き進む!
言葉にすればこれだけの事なんですが、これがなかなか難しいんですよね…
・指針……すすむ主体に対して、外部から指し示すもの
・方針……すすむ主体自らが判断・決定して、方向を示すもの